直線上に配置

がらくた写真館

ぼくは一年のうちで、元日が一番好きです。
その思い出話をします。
特別なことは何もないのですが、日本中に、希望や元気があったころを、最近忘れがちなので、思い出してみみることにしました。
あなたも、あのころを思い出してみてください。

元日は、すべてが新しく、といっても、せいぜい箸や歯ブラシ、石鹸、カレンダーが新しくなる程度でしたが、それでもお正月というのは、うきうきとする響きを持っていました。


今でこそ、毎日何かしら封を切って使う生活をしていますが、昭和30年台はビニールというものも珍しく、食品をつつむのはもっぱら新聞紙でした。
竹の皮もよく使われてました。

石鹸を新たに使うということになれば、その箱をめぐって兄弟で取り合うような、ごみの出にくい生活を日本人はついこの間までしていました。
しかも薪の風呂でしたから、少量の紙ごみも焚き付けにしてしまい、思い出しても清らかな、廃棄物の少ない生活でした。灰も畑や庭の菜園に撒いてましたから。


そういう生活だっただけに12月になると、「これはお正月にあけようね」というものがぞろぞろ出てきて、いやがうえにも新年への期待がふくらむわけです。

カステラ、お正月にね。
干し柿、お正月にね。
新しい手袋、お正月にね。というなかで、餅だけは搗けたその日からどんどん年末でも食べていました。


だから、逆に、餅だけは正月用品のなかで別格なんです。

特別な日としては、誕生日ってのもありますよね。
しかし、近所の友達を呼んで、サツマイモを刻み込んだ小麦粉のパンケーキをケーキに見立てて食べるとしても、せいぜい母親が前日から準備に入る位です。
クリスマスも、日頃買ってもらえない本をサンタクロースが持ってきてくれる程度です。
餅だ、大掃除だ、年賀状だ、という一大プロジェクトが動き出し、そして華やいだ慌ただしさが一転して、テレビから琴の音が流れる元日の静かな落差がとても好きでした。

そして、その頃は本当に「お正月だから、独楽をまわし、羽根を突き、凧をあげる」素直な子供がたくさんいたのです。

大晦日は子供も夜更しをしても叱られず、正月飾りが終わったなかで、紅白歌合戦を観て、蕎麦を食べ、そして、どうやって寝床についたのかも思い出せずに眠り込んでいたのです。

その後、両親は自転車で宇佐神宮に初詣に出かけ、ほとんど寝ないままに元旦の膳を整えたのでした。これは、きわめて私的な記憶ですが、両親の結婚50年を祝して、特別にここに記します。(2005年11月12日)


写真雑文記念館の入口に戻る

管理人室に戻る

トトロの森のホームページ入口に戻る