いせえび⇒びんづめ

瓶詰め


食べることが好きで、珍味モノへの好奇心がある。
酒も嫌いな方ではないから瓶詰めの珍味を、旅先で買い求めることになる。

旅先の宿で深夜、瓶詰めの味見がてらに寝酒を楽しむ。
そして、我が家に戻れば、食品のブラックホールとも呼ばれる大型の冷蔵庫にしまい込まれ、忘れられ、そして予期せぬときに発掘されるのである。

この瓶詰めはすべてぼくがしまい込んだモノであり、石器時代の原人が埋めたモノであるなどという偽りは申さぬつもりであるが、なかにはどういう経緯でそこにあるのかどうしても思い出せないモノもある。
どこの家庭でも、冷蔵庫を発掘すれば忘れていた瓶詰めが見つかると思うが、我が家の冷蔵庫は多少常軌を逸しているかもしれない。

最古参は25年モノの鰹の塩辛。
いわゆる酒盗というヤツである。知人の漁師からもらったもので、箸の先についたのをなめるだけで軽く酒が一杯は飲めようかという、塩分ばっちりの文字通りの塩辛。

「これくらい塩を利かしても、10年以上経つとまろやかになる」というご託を信じて、少量を小瓶に分けて大切に保存したまま、忘れていた。
先日見つけたが、見た目は普通の塩辛のままだった。
ぼくが会社勤めをはじめて間もない頃の塩辛だから、愚妻よりもはるかにつきあいは長いということになる。しかも、いつもそばにいながら、文句のひとつも言わずじっと耐えてそこにいたのだ。
というようなことを考えたら、これはよほどの理由がないと食べられない。

しかも、見た目は変化がないようだが、衛生上、食べて大丈夫かどうか、ということも気になる。
ということになれば、末期の一品にするしかない。
それだったら食あたりしても構わないもんね。

そこで、2000年の終わりに、テレビで紅白歌合戦を見ながら、末期の一品リストというのを考えてみた。
ベストテンというのではあんまりだからとりあえず三種類。

末期の「一品」といいながら、三種類程度をリストアップしようと考えたのは、死の状況によっては第一候補が手に入らないこともあるだろうから、こんなくだらんことで周りの人を困らせてはいけない、という配慮からである。
それでも、いずれも突然死にかけたときに手に入らない可能性があり、それがために、遺族が「死ぬ前に、好きなモノを食べさせてあげられなかった」といって悔やむことがあるかもしれない。
だから、あくまでもこれはいいかげんな気持ちでリストアップしたのだよ、ということをよく言い聞かせておかねばならない。

その後は、気持ちよく散骨。
いいかげんな人生にはいいかげんな幕引きがよく似合う。

40代の今作ったリストと60代で作ったものは相当異なっているだろうなあ。
ちなみに、まだ、旨いモノをほとんど知らない貧乏学生の頃に作った末期の一品リストはこうなっている。

・茶碗蒸し
・エビの天麩羅
・すき焼き

末期の一品というよりは、こじんまりとした宴会メニューである。
大して旨いものを知らず、食べたい盛りの学生であるから、こういうモンだろう。
すき焼きが登場するところに、牛肉の輸入自由化前の世相を見ることができるが、あの頃の牛肉様は、貧乏学生にとっては大変な威光であった。
この件については、改めて一項を設けて駄文をモノしたい。


現在のところ、末期の一品は

・小鯛の笹漬け
・おとうさんがんばって(海苔の佃煮)
・ファンタグレープ

ということになっている。

では、先ほどの25年モノの塩辛はどうするんだといえば、ぼくが80歳過ぎて生存していれば、50年以上経った珍味として食するが、25年しか経過していない今は末期の一品にはしないことにした。
その場合は、長男に引き継ぎ、適当なぼくの命日にでも食べるように言いつけておこう。

なあに、少量のもんだし、食あたりしたってタカが知れてる。
おまけに、こっちはとっくにあの世だ。ははは。

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