しりとりエッセイ第一話

おにぎり


おにぎりにはお世話になっている。
そして、このところおにぎり弁当を作るのに凝っている。

おにぎりには、海苔を巻くか巻かないかという大分類があり、その中間に(想像ですが)南伸坊氏がモヒカンにしたような、部分的に海苔を張り付けたのがある。
そして、形状は三角、俵型、丸ということになろうか。

中身は、古典的なものでは梅干し、おかか(カツオ節に醤油)、タラコ、昆布佃煮など。
何も入れないというのもすがすがしい。
以上を掛け算すると、3×3×5=45種類になる。

海苔ひとつ取ってみても、最近流行の韓国味付け海苔があるし、とろろ昆布まぶし、ゴマ塩、黄粉、濾しアン、粒アン(おにぎりの範疇から逸脱しているのは承知しています。おはぎのことです。こうやってみると、おはぎというのは、あんこおにぎりだったということに気がつきました)。

つまり、ここで言いたいのは、とてもたくさんの種類がありますということ。
シーチキンマヨネーズだの、エビ天だのといった新規勢力を無視したって、大変なバリエーションになります。

ということは、回転おにぎりというビジネスが成り立つのではないだろうか。
コンビニのおにぎりのようなフルサイズものが回ってきたら、3皿で腹一杯になり、客単価300円。
これでは、商売としては成り立たないと思うが、あったら一度は行くだろうなあ。

最上級のコシヒカリをかまどで炊き、どこぞの名のある塩で握ったといったら高く売れるだろうか。
どんなに高くてもタカがしれているだろうから、一度は米食民族としては試してみたいような気がする。

個人的には、吉永小百合さん(ファンなんです)が居酒屋のカウンターで、割烹着姿で握ってくれたら、おにぎり一個千円でも安い。
黒柳徹子さん(ファンなんです)が、物静かに(というのが難しいかもしれないが)カウンター越しに「焼きおにぎりでも…」とすすめられたら、それも嬉しいには違いないが、一個千円というわけにはいかない。
まあ、500円だな。
そして、収益の一部は飢えに苦しんでいる子供たちを救うことに使われることになるわけで、それ自体は悪いことではないのだが、酒を飲むときにはそういうことは考えたくない。

ぼくは永年、三角形のおにぎりをうまく握れず、それが料理好きとしては気になっていた。
ところが最近になって、ようやくコツをつかんだものだから、おにぎりが面白くなってきた。

いろいろと試してみたが、松茸の佃煮は値段が高かったこともあり、旨いと思った。
飯に旨みが乗り移って、味の染みた飯が格別によかった。
安い昆布の佃煮だって、具のまわりの飯は旨いのだが、松茸の佃煮は「値段が高いから旨い」ようだ、と感じるのは生まれが卑しいからかもしれない。

真の食通なら、そういうことに左右されないのだろう。

しかし待てよ。猿は値段の高低に左右されずに、自分が旨いと思う方をえらぶだろうなあ。
ということは、食通と猿は同じか。

おにぎりを題材にして、食通を馬鹿にしてもしょーがないが、食の賢者嵐山光三郎氏が松茸そのものに対して、もう少し洗練された言葉で述べておられたのを思い出した。

嵐山さんを思い出しては、この手の駄文はかけなくなるので、具として面白かったような気がしたモノをひとつだけあげて、いったんこの稿を終わらせよう。
(嵐山さんを思い出したので、弱気になっている)

そのモノとは、イナゴの佃煮。冷蔵庫の奥で数ヶ月前から眠っていた貰い物。
一口だけおそるおそる食べてみて、旨いまずいを言う前に「珍しいなあ」と思い、食べてから「珍しかったなあ」と思った一品。
(味はエビに似ていると思った)
自分がもらってきたくせに気味悪がって一口も食べなかった妻に、小振りのおにぎりにして食べさせたが、なにも気づかなかった。

こんどからは目も使って食べようね。

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