おじや⇒やしょく

夜食


ここ1年ほど、国内限定だが出張が多い。

毎週平均3日は、地方都市の安いビジネスホテルに泊まっている。
ついに行ったことのない県は和歌山県だけになった。

こういう生活が始まった当初は、物珍しさもあり、出張先で名物を食べたり土産物を物色したり、地酒を飲んだりした。

しかし、こういうことも毎週の繰り返しになると、飽きてくる。

仕事だからこそ忙しげに飛び回りもするが、地味で出不精というのが僕の本性だから、ビジネスホテルでの過ごし方はおおむね次のようなパターンで落ち着いてきた。

ホテル近辺でコンビニを探す。

ビールとつまみ購入。

(このところレンジでチンしてもらうシュウマイがお気に入りである。浅漬けや奈良漬けを気分で購入するすることもある。)

おでん、肉まんなども、宿の14型のテレビでバラエティ番組を眺めながらの孤食にはなかなかいい。


とても気に入っているのが日清のきつねドン兵衛とベビーチーズの組み合わせ。

カップに湯を注ぎ、その上にベビーチーズを載せて余熱で暖めるだけなのだが、暖められたプロセスチーズが、じつにまあ、懐かしいおいしさなのである。
どのように懐かしいかというと、少年の頃の作文を押入れから見つけ出したような懐かしさ。

3〜4個で1パック100円程度の、学校給食でお世話になった、アレです。

近年よく見かける、エメンタールとかグリュイエールとかいう高級かつナチュラルなチーズは、ちょっとした熱でとろけて糸を引くようになるものらしいが、昭和40年代のチーズといえば、洗濯石鹸のようなプロセスチーズで、ちょっとやそっとでは溶けたり流れたりするものではなかった。

そして、細長く切ったプロセスチーズを竹輪の穴に差し込んで、切り口を斜めにして盛りつけたものは、宴会の準主役といっても過言ではなかった。

僕が生まれ育った九州の山の中で、猪こそ出ないが野生の猿は21世紀になった今でも、たまには出没するという僻地だったから、まだ若かった母が、町からマカロニというハイカラ(当時はそういう単語があった)なモノを買ってきて(バスが一日に2往復していた)、村人に供したところ、なんとまあ上手にうどんに穴を開けるものよ、と感心されたらしい。
そういうつまらぬことでうそを言う母ではないので多分実話であろう。

これは、東京にオリンピックが来るということが決まり、道路の舗装や下水の整備が、猛烈に推し進められた昭和30年代前半のことです。

それはさておき、問題の、とけないプロセスチーズである。

カップ麺のぬくもりを一身に吸収した消しゴム大のチーズは、日頃酷使している肝臓を良質のタンパク質でいたわり、ストレスをカルシウムで癒してくれる(らしい)。

2個暖めることが多いが、そのうち1個はビールのつまみに、もう一個は、力うどんのようにカップ麺に入れる。

しみじみとする。

こんなに単純なものが、なぜ、と思うほど、旨いと思うときがあります。多分、健康な証拠なんでしょう。
心身ともに。

お試し下さい。





こういう店で、驚きのご馳走体験。 
シャッターは閉まりっぱなしだが、左の戸から、ときどき人が出入りするので、廃屋でないことがわかった。
うなぎ、豚しょうが焼き、蛸ときゅうりの酢の物、塩辛、野菜の炊き合わせ、右の一品は思い出せない。
晩酌がおわったころにご飯と味噌汁を出してくれた。これは、定食屋のフルコースだな。
酒は500mlの紙パック。これで1300円。食堂が勝手にあるものを集合させたらしい。


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