しりとりエッセイ
缶詰の魅力
以前に、「パイナップルの缶詰には押し込められた苦しさがある」と書いたら、
「オイルサーディンだってぎっしりだよ、もっと狭い空間に」というご指摘をいただきました。
ご指摘ってこともないか、うちのかみさんだから。
しかしオイルサーディンは生前は鰯だから、広い広い海洋の生物なのに、生きているときから密集して、群れて暮らしていたのだから、缶詰でも問題ないのだ。
たたみいわし、シラス干し、煮干いりこなど、鰯は大群がよく似合う。
大きくなって目刺しに加工されても集団行動である。
スーパーの鮮魚でもパックに最低3匹は入っている。
まあ、ここで、かみさんの指摘にネットで反論してもしょうがないのでやめます。
話はもう一度缶詰に戻りますが、缶詰で好きなものベスト3。
こういうのを考えるのは、楽しいなあ。
出張の夜、ビジネスホテルの孤食だったら、ホテルの電気ポットで温めて食べるから、小さいものがいい。
焼き鳥、赤貝、オイルサーディンといったところかな。
オイルサーディンには、しょうゆをちらりと垂らしたいが、出張ではそれもままならない。
だから、弁当のしょうゆ小袋を大切に使う。
一緒にコンビニでおでんを買うときには、カラシを余計にサービスしてもらう。
ひとしずくの醤油、わずかなカラシにも旅情を見いだすのが、出張の心得であろう。
草枕 旅にしあれば 缶食を あらまへそ家にしあれば スパゲッティで食う
草枕は旅にかかる枕詞、あらまへそはよくわからないが、「あらまーっ!、へー、そう?」といういいかげんな気持ちがにじみ出た間投詞らしい。どんな辞書にも出ていない(はずです)。
鯖の水煮は、ゆでたてのスパゲティにまぜると実に旨い。
フライパンでジュワー。
マヨネーズでいためるとさらに旨い。
缶詰のうまさって言うのは、缶にはもうフタができないから、食べきってしまうしかない、といういさぎよさにあると思う。
ビン詰めと缶詰は、売る側からすると似たようなものらしく、たいてい並べて売られているが、それは流通側の理屈。
買う側からすると、全然違うものなのである。
考えてもみてください。
缶詰をちびちびと、半年かけて食べるなんてことは、まずありません。
逆に、ビン詰めを、いきなり全部小皿にあけて一食で食べ切ってしまうというのも通常の暮らしでは考えにくい。
そうでないと、何のために、ビンとフタにネジがあるのかということになる。
一回の食事でイチゴジャムを一ビン空ける、イカの塩辛を空ける、など、どう考えてもヘンである。
しかし、西武線秋津駅とJR新秋津駅の数分の乗り換え道路ではこれは普通である。
ここにある立ち飲みの焼き鳥店には、味付けメンマ200円というのがあり、ビン詰めのメンマを一ビン、ぱかっと皿にあけて供する。
当然のように瓶とフタは分別されて、ポイッ。
(この店は、店内いたるところに、人生訓、処世訓が貼り付けてあって、酒を飲みながら人生を一人で考えられて、千円でおつりがたくさん来るというすごい店なので、いつか別項で取り上げます。)
あまり好きでもないのに、見れば買いたくなるのは、アスパラガスの缶詰。
専用の長い缶に入っていて、偉そうなのに、実に頼りない食べ心地である。
ソーセージの缶詰にも同じような頼りなさを感じる。
専用の缶に堂々と納まっていると、それだけで、偉いヤツなんじゃないだろうかという気がしてくるから、人間も身なりには気をつけたいものである。
桃、ビワ、洋梨といった高級果物が缶詰になって、100円で売られていると、これも買いたくなる。
ビワなんて、何年も缶詰とビワゼリーでしかたべていない。
ビワゼリーだって、会社に来た誰かのお土産が女子社員の気まぐれでこちらに回ってくればのことだから、稀なことではある。
缶詰は、人類が発明した貴重な保存食です。
その缶詰を駆使したごちそう作りにチャレンジしてみようかな。
と、思いついて台所の踏み台のフタを外すと、中の空間にはいろいろな缶詰が入っています。
それを組み合わせて、中華、洋食、和食を作ってみるというクリエイティブな遊びです。
何が出てくるか、わからない状態での予想では、中華→楽勝、洋食→難度高し、和食→缶を開けてご飯のおかず以上の発想ができるかどうか?でしたが、
出てきたもの。
鯖水煮、鮭の中骨、袋茸、カニの雑肉、桃の缶詰
ソーセージ、コーンビーフの馬肉入り、カンパン、つぶあん、ココナッツミルク
以上は語呂がよくまとまったが、字余りになったのが洋梨の缶詰、ファンタグレープ。
カンパンは会社の非常食が賞味期限切れになったので社員に配給されたものです。持って帰ったけど、非常食のカンパンだよ、あと100年だってもつと思うよ。
では、調理開始(この項、いつか続きを書くと思うけどいつになるやら)
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