しりとりエッセイ
鈴虫
この文章は2000年秋に書きました。
日中は烈しい日差しでも、朝夕には秋の気配が感じられる今日このごろ。
小学校3年生の長男が、鈴虫の卵を孵化させたのが6月。
学習雑誌の付録だった。
ルーペで観察してみたが、羽根こそ短いものの立派な鈴虫の格好をしていた。
小さな命を慈しむように、ぼくと息子で世話をした。
ぼくの方が楽しんでいたかもしれない。
猛暑にもメゲず成長し、8月初めから鳴き始めた。
その虫のが、どうも騒音のように思えてきたので困った。
虫の音は風流なものであり、古来歌にも詩にもそのようなものとして取り扱われていることは承知している。
それがうるさいような気がしてきたとは、どういうことか?
鳴き始めた頃は、人の気配がすると、フッと鳴き止んだものだが、そのうち、蛍光灯を点けようが足音を立てようが、お構いなしに鳴きたいときに鳴くようになった。
ふてぶてしい輩である。
数日もすると、心からうるさく感じた。
人間って、勝手なものだなあ、とは思うが、しばらくして家族全員がそのように感じていたことがわかり、安心した。
この安心は「自分だけが勝手なヤツではなかった」、という、同類項を見つけた安心である。
孵化した時には10匹近くのミニ鈴虫がいたと思ったが、生き残ったのは雄雌各2匹。
9月初め、ついに一匹が寿命となり一件落着となりました。
ところが、ヒマさえあれば目を凝らして観察していた長男によると、
「おんぶするようにしてたから、あれが交尾だと思う。産卵管を土に差すところも見た。だからきっと、来年も鈴虫が孵化するはずだ。」とのこと。
来年も、りんりんと金属的な虫の音が響きそうです。やれやれ・・・
秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 虫の音には うんざりしたなあもう
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